翻訳と辞書
Words near each other
・ ノーサンバーランド郡 (ニューブランズウィック州)
・ ノーサンバーランド郡 (バージニア州)
・ ノーサンバーランド郡 (ペンシルベニア州)
・ ノーサンバーランド開発計画
・ ノーサンブリア
・ ノーサンブリア王国
・ ノーサンプトン
・ ノーサンプトン (ペンシルベニア州バックス郡)
・ ノーサンプトン (マサチューセッツ州)
・ ノーサンプトンの戦い
ノーサンプトンの戦い (1460年)
・ ノーサンプトンシャー
・ ノーサンプトンシャー州
・ ノーサンプトン・セインツ
・ ノーサンプトン・タウン
・ ノーサンプトン・タウンFC
・ ノーサンプトン伯
・ ノーサンプトン伯爵
・ ノーサンプトン侯
・ ノーサンプトン侯爵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ノーサンプトンの戦い (1460年) : ミニ英和和英辞書
ノーサンプトンの戦い (1460年)[のーさんぷとんのたたかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

ノーサンプトンの戦い (1460年) : ウィキペディア日本語版
ノーサンプトンの戦い (1460年)[のーさんぷとんのたたかい]

ノーサンプトンの戦い(Battle of Northampton)は、薔薇戦争中の戦闘であり、1460年7月10日に行われた。
== 戦闘の経緯 ==
前年に行われたラドフォード橋の戦いにおける大敗北で、ヨーク派は既に絶えたように思われた。何人かのヨーク派の司令官(ウォリック伯ソールズベリー伯、ヨーク公の息子マーチ伯エドワード)は、1459年11月2日にカレーに逃れ、ウォリック伯はそこで叔父フォーコンバーグ卿に会った。一方、ヨーク公ラットランド伯エドムンドは、比較的安全なアイルランドに撤退した。
その頃イギリス本土では、ランカスター派がヨーク派逃走の機を捉え、討伐隊を派遣した。ウィルトシャー伯ジェームズ・バトラー(''James Butler, 1st Earl of Wiltshire'')はアイルランドの代官に任命され、サマセット公ヘンリー・ボーフォートはカレーの方面軍司令官となった。しかしその新しい「領主」に対し、アイルランド人はヨーク公の引渡しを拒否し、カレーは堅く城門を閉じ、彼らが新しいポストを占めることは、いずれも成功しなかった。
ランカスター派はサマセット公にカレー討伐の軍を与えた。だが、カレーを討伐するにはまずドーバー海峡を渡らなければならない。そのため、艦隊の建設がケント州のサンドウィッチ(''Sandwich'')で始められた。艦隊の建造が済んで間もなく、ウォリック伯はサンドウィッチを襲撃して、艦隊を強奪した。ウォリック伯は5月にもドーバー海峡を渡っており、この時には建造中の艦隊を破壊している。
ウォリック伯はサンドウィッチに彼の叔父と軍の一部を残しておいた。来るべきイングランド侵攻時の橋頭堡の役を務めるためである。そして6月26日、ウォリック伯とソールズベリー伯とエドワードは2,000の兵とともにサンドウィッチに上陸した。ちょうどこの時、ヘンリー6世マーガレット王妃も小規模な軍をつれてコヴェントリーにいた。ウォリック伯はこれを急襲するべく、7月2日2~30,000の兵を連れてロンドンに入った。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ノーサンプトンの戦い (1460年)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.